スタッフブログ

「何のために」を考える

2014年03月19日 ひとりごと スタッフブログ

前に聞いたことのある話が、今、読んでいる本に出てきました。
「一番、過酷な労働は、朝、地面に穴を掘って、午後、それを埋める作業。
 そして、来る日も来る日も、それを繰り返すことだ」
という話。
(失礼ながら)どこで聞いたのか思い出せないので、ネットで調べたところ、ドストエフスキーが書いていたとか、かつてシベリアの強制収容所でそのような強制労働があったとか、色々な話が出てきました・・・。
で、それはともかく、要するに意味を見いだせない物事に否応なく力を費やすということが、人を限りなく消耗させる、ということなのでしょう。
つまり「何のために」「誰のために」、ということですね。
最近、偶然なのでしょうけど、読んでる本に出てきたり、人から聞いたりで、松下幸之助さんのエピソードを伺う機会が何度か重なりました。
その中の一つですが、松下氏が電球を磨く工員に「あんたら、ええ仕事しとるなぁ」と言ったそうです。
自分たちの仕事を「ひたすら電球を磨く」という、いわば単純作業としか考えていなかった工員たちは、何を言っているのかすぐにはピンと来なかったそうです。
松下氏が言うには、この電球は地方の山奥の村にも使われる。そういうところに住む子どもたちは、日が暮れたら外で遊ぶことも本を読むこともできなくなる。
そこにあなたらが磨いている電球があるお蔭で、子どもたちは本を読み、未来を夢見ることができる。
つまり、あんたらの仕事は、子どもたちの未来を創っているのだ。ええ仕事や。とのこと。
素晴らしいと思いませんか?
物事には必ず理由があります。もちろん、自分自身で理由を創ることだってできます。
目の前の仕事をする時、馴れ合いになって、本当は大切な仕事なのにも関わらず、単なる作業に思えてしまうことが良くあります。
特に、お客様の反応が見えにくい業種や職種の場合、例えば下請け仕事の割合が高い町工場や、農業などの一次産業はそういう傾向が多々あるのではないでしょうか?
でも、その仕事の先には、製品や商品になって市場に流通して消費者を喜ばせたり感動させたりしている現実があるわけです。
決して、来る日も来る日も地面に穴を掘って、またそれを埋めているわけではないのです。
むしろ、とても価値のある役割を担っている場合が多いのではないでしょうか?
物事は、見方・受け取り方・考え方でどのようにでも姿を変えます。
毎日毎日、繰り返していることに意味を感じられなくなったり、毎日の中で起こる何かしらの出来事をネガティブに受け取ってしまったり、誰かに何かを頼まれた時、「やらされている感」を感じてしまった時などは、一度、深呼吸をして物事を客観視して、「何のために」を考え直してみましょう。
多分、これは自分自身が楽しくなるための訓練なのだと思います。

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