スタッフブログ

作品が生まれるには

2014年02月12日 ひとりごと スタッフブログ

佐村河内 守さんの一件が世間を騒がせています。
以下は、一連の楽曲にそれほど思い入れがあるワケでもない私という一個人の意見です。
被爆者やその親族、あるいは被災者や遺族の方々とは見方や考え方も異なるかもしれませんので、その点、予めご了承ください。
今回の件、色々と想うところがあるのですが、私が違和感を覚えるのが
「感動して損した」「感動を返せ」
みたいなコメントです。
果たして、佐村河内さんの発想ナシで、あの楽曲は生まれたでしょうか?
果たして、最初から「私が考え、新垣さん(作曲者)に作ってもらいました」という紹介では、あれほどの感動は生まれなかったのでしょうか?
誰が創ろうと、どんな経緯で生まれようと、作品は現実的に存在します。
その楽曲が多くの人たちに影響を与えたことは紛れもない事実です。
もちろん「被爆2世で聴覚障害がある人の作品」ということで一層の注目を集めたことは否めませんが。
佐村河内さんがA4一枚で書いたという、楽曲のイメージを伝える指示書がテレビで取り上げられていました。
作曲という作業の中では、それがどの程度、影響するものなのか分かりませんが、いわゆる企画書(の簡易版?)みたいなものですよね。
「企画」という目に見えにくい仕事に携わらせていただいている立場から申し上げると、弊社としては、ああいう一枚(で良いかどうかは別として)を、制作の意図や方向性を共有するためのコミュニケーションツールとして、結構、重要視しています。
作品が生まれる、つまり創作には様々な形態や手段、あるいは経緯、そしてドラマがあります。
映画・演劇・ドラマ・絵画・イラスト・俳句・書・音楽・ダンスなどなど、様々なジャンルの無限の創作活動には、色々な役割があり、肩書きでキレイに整理されるものばかりとは限らないでしょう。
現役のメジャーなミュージシャンだって、口ずさんだメロディーを誰かが音符にすることも多々あるそうですし、たくさんの著作をしている先生だって、口頭でしゃべったことを誰かが文章に直すことだって一般的に行われていると聞きます。
くれぐれも、そのことが良いとか悪いとかではなく、また、私自身、佐村河内さんを肯定しているワケでも否定しているワケでもありません。
今回の一連の問題の焦点を佐村河内さんにフォーカスすれば、「作曲者と偽ったことの是非」が問われるでしょうし、事実、そうなっています。
ただし、「作品」にフォーカスを当てて考えると、少し見方が違ってくる気がします。
いずれにせよ、致命的に良くないところがあったものの、佐村河内さんの発想があり、それを形にできる新垣さんの知識や技術があり、それが多く人に感動を与えたことは事実なのではないか、と思います。

<<前のページに戻る
この記事へコメント
名 前: (必須)
Eメール: (必須)
U R L:
本 文: