横浜開港と保土ヶ谷宿
おはようございます!
6月2日(木)です。
晴れてます!
が、強い北風が吹いていて、外に出ると体感的には少し寒いです。
(>_<)
横浜・長崎は開港記念日ですね。
「横浜道」、ご存知でしょうか?
幕府がアメリカ総領事ハリスに押し切られる形で開港場と定めたのは神奈川湊(現在の神奈川区)でした。
が、当時の神奈川は華やかな宿場町。
人も多く、その中には「尊王攘夷」を謳う物騒な輩がゾロゾロいます。
そんな物騒なところを開港場にできるワケもなく、幕府が独断で選んだ開港場が、宿場町から遥か遠くにある半農半漁の寒村「横浜村」だったワケです。
物騒な輩と距離を置くために選んだ開港場なのですが、遠ざかったのは物騒な輩ばかりではありません。
物流どころか人の往来もイチイチ面倒。
そこで幕府は、芝生村(しぼうむら・現在の西区浅間町)から戸部村を経て野毛坂・吉田橋に至る「横浜道」の整備を決断します。
そして、その横浜道の整備を幕府から直談判され、請け負ったのが保土ヶ谷宿の名主・苅部清兵衛(10代・悦甫)氏だったのです。
先日、めざましテレビの「さの散歩」で松原商店街の「追分」が紹介されていましたが、八王子の「絹の商人」たちは、八王子道(現在の国道16号)を通り、この追分で旧東海道に入り間もなく、芝生の交差点で横浜道に入り横浜港へ向かいました。
開港記念日にちなみ、「横浜開港と保土ヶ谷宿」豆知識でした。
(^^)v
・・・詳しい方、間違えがあったらご指摘ください。
( ̄▽ ̄;)
蛇足(?)ながら6月2日は「路地の日」でもあるそうです。
「道」つながりなので、併せてご紹介しました。
本日もよろしくお願いします!
(^^)v